1980年の訪中以来何度か中国を訪問したが、必ず通るのが京広線と隴海線の交差駅「鄭州」。この町に降り立てば洛陽も開封もすぐに行ける隣町だ。
戦争中は黄河を挟んで北側は日本軍の占領地。黄河決壊後に造られた「新黄河」を挟んで対岸の開封は徐州会戦の結果日本軍の手に落ちた。この川を挟んで奇妙な平衡状態にあった日中間の緊張は1944年春の一号作戦の発動によって破られる。
結局、日本は河南省を突破して湖北省との連絡には成功したが西の方、関中に侵入する事はなかった。これは河南省の守りが堅く山西省から侵入した日本軍の突進力が尽きたからに他ならない。今回は古代史の河南省を離れて近現代史の河南省の一端を眺めてみたい。
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