imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

江南の春を往く 17

 ホテルから蘇州の駅に行くために外に出てタクシーを探す。日曜日なので通りは閑散としていてタクシーは来ないわ打車も反応ないわであきらめて地下鉄に乗ることに。このホテルは地下鉄の便が良い。二度ほど乗り換えをして蘇州駅に到着。蘇州発G8521列車に乗車わずか30分で上海西駅に到着す。

 この駅は昔は真如駅と言い、隴海線で西北方面から上海入りした際によくここで終点となる駅だった。上海では本来の上海駅(北站)と真如の二つが代表的な駅だった。

 この駅を下車駅に選んだのは同行のN師が「上海では小籠包の本場の南翔鎮で昼飯だな!」と並々ならぬ決意をされていたからに他ならない。国鉄の駅で下車し、今度は上海市地下鉄の地下鉄11号線に乗り換え、南翔まで移動する。途中から地上に出た電車は上海市郊外の街区を走り大きなビルの下にある南翔駅に到着した。ここはバスターミナルも併設されている。ホームを出て荷物を預けようとコインロッカーを探したところあいているロッカーを発見。二人分のザックを押し込み身軽になって出発だ。コインロッカーとは書いたがもちろんバーコードですべてが処理される仕組みだ。

 大分気温も上がってきて歩いて行くのは諦めタクシーで移動。だんだん人混みが濃くなっていき目的地の南翔故鎮には10分ほどで到着した。周りには小さな運河が入り込み狭い路地には多くの人が歩いている。早速小籠包の店を発見して入ろうとするとN師が「ここじゃない、本場の店があるはずだ。」と制止されしばらく人混みを歩くことにした。

南翔故鎮の運河

 昔ながらの街並みが整備されている。中に入っていくと小さな仏塔が二つ建っている。お寺が近くにあるのだろう。

故鎮の中心部に立つ仏塔

 ぐるぐる回って腹も空いたので近くの小籠包を売る店に入る。結構混んでいたが2階の席に通されてビールと小籠包を頼む。

小籠包(実際には大きい)

 隣の席の家族連れの席からおじさんが「もっと頼んで食え」というようなことをしきりに勧める。そこで海老の小籠包を追加注文する。結構おなかいっぱいになった。

スープがあふれる!

 今回は杭州と蘇州の小籠包、前回は開封の小籠包と、各地で名物とされるこの食い物を制覇したことになる(のだろうか?)。満腹になっておじさんと握手して店を出た。

 ホテルがある上海南京東路まで帰ることにする。帰りはタクシーがつかまらず歩いて移動。結構な距離だがいつの間にか地下鉄駅に到着。荷物を回収して江蘇路で2号線に乗り換え、南京東路まで移動して外に出る。ここもすごい人波だ。新世界大丸百貨店を左折して河南路を少し歩くと今日のホテルに到着。立地はものすごくいいがその割に安い。廊下にずらっと並ぶドアを見ていると監獄のようだ。部屋も狭く窓はない。まあ南京路に近いからいいや。

和平賓館は健在だ

 以前はここPeace Hotelにも泊まったし上海大廈にも泊まったが今じゃ高くなってしまってとても泊まれぬ。晩飯を食って監獄に戻ることにする。いろいろ悩んだが、最後の晩もやはり酒を飲みつつ。天津路と山西南路の角にある「王子記」。美味い!

王子記の料理

 

江南の春を往く 16

 南門から地下鉄で観前街まて移動。蘇州城内では一番繁華な通りではあるまいか。文字通り大きな道観(道教の宗教施設)があり玄妙観という建物が建っている。昔来たときにお金を納めてオレの名前を道士に書いてもらった覚えがある。オレの名前は漢字四字なんだが上の三文字だけ書かれて中国人ぽい仕立てになってしまったが、あの時は今より中国にかぶれていたので、そんなことはどうでも良かった。

玄妙観前

 近くのショッピングモール内のフードコートみたいなところで麺を喰らう。とにかく人混みがすごい。麺はおいしかった。

 玄妙観の境内をぐるっと回って出てきたが、一昨年開封の延慶観に行った時ほどの衝撃はなかった。参詣者は多分何百分の1なんだがそこの地下で見かけた民間人による怪しげな儀式は夢に出てきそうなほどショックだった。

 歩き疲れて近くのコーヒーショップに入る。店内はモダンジャズが流れていて喧騒に疲れた耳を癒してくれる。

珈琲、美味し!

 観前街を抜けて平江歴史文化街区と呼ばれる文化保存地区に入る。縦横に小運河が通る街並みは相変わらず貸衣装をまとった女子とお付きのカメラマンで込み合っている。格好の撮影スポットが続く街並みなのだ。誰かの邸宅であったらしい建物「中国昆曲博物館」に入って参観。曲とは戯曲の意で、音楽付きの芝居であるからChinese Operaと訳される一連の芸術の一つである。その中でも江南地方の地方劇を昆曲・昆劇と称している。中に入るとこれまた撮影中のお姉さんがうろうろしており、まあまじめな参観者ではない。

中に舞台があって時間を決めて実演があるらしい

 日も西に傾いてきたので、夕日を浴びながら近くの「仁恒倉街商業広場」なるショッピングモールに移動し中にある蘇州料理店を探す。探すとは言ってもあまりにも広い敷地なので探しあぐねあちこち彷徨うがようやく目的のビルに入り店のありかを聞きながらなんとか「米桃」に到着。

米桃・江南蘇錫菜(尋恒庫街店)

 ここでは食べるものは最初から決めている。蘇州の名菜「松鼠桂魚」魚を刻んでハリネズミのように肉を立てて揚げたものに甘いソースをかけたもの。このとげをむしって食らいます。

お皿の魚の口から白いドライアイスの煙が出ている

 

名菜「松鼠桂魚」

 とげを食べ終わると店員さんが残った皮の部分を刻んでくれるので汁に浸った甘い部分を余すことなく食べることができる。洛陽の東山賓館食堂でおばさんが教えてくれた発音で「美味!」と店員さんに囁いたら一皿だけ取って酒だけを飲んでいた日本人に「多謝」と返してくれた。お世辞でなく本当にうまかった。

 すっかり日も暮れた。明日はいよいよ上海に戻る。明日の上海では何を喰らうか実はちゃんと決めてある。昼は南翔鎮で上海の小籠包子をやっつける予定だ。

江南の春を往く 15

蘇州を歩く

 翌朝はホテルから地下鉄3号線で移動。沙金橋から一駅の索山橋西で乗り換え、5号線で南門駅まで。3号線の電車は運転席がなく、乗客が最前部に立って前方を眺めている。トランシーバーを持った職員が立っており運行状況と車内を監視しているようだ。職員さんに「無人運転なの?」と聞くと聞くまでもないよな、「そうだよ。」という返事。地上に降りて護城河にかかる人民橋に向かい歩く。

地下鉄駅はどこでも見るようなスタイルだがやってきた電車は無人運転だった

先頭車両 運転席はない

 地上に出て歩く。気温も上がってきて暑いくらいだ。橋の上から行き来する遊覧船や水上バスを眺める。

南門先の運河を行く遊覧船

 40年前に来た時には小舟をたくさん連ねて運行していた輸送船団が行き来していたものだが、その影はもうない。護岸もきちんとしていてこぎれいな公園になっている。あんなにたくさんの舟運はどこに行ってしまったのだろうか。現在この川を走っているのは遊覧船・水上バス・水上警察の警邏艇くらいだ。

 しばらく歩くときれいな八字橋に突き当たる。この川をまたぐ歩行者用の橋だ。一旦構造的に使用できなくなったが再建されたようである。

綺麗な橋

 歩き疲れたのでお茶をサービスしている店に入る。この町の名物「碧螺春」という銘柄の銘茶を贖い魔法瓶のお湯をもらう。お茶うけにヒマワリの種とピスタチョを買って広場に出るとおじさんが椅子とテーブルを出してくれた。同行のN師と教育談義やなにやらを1時間ほどしながらお茶を飲む。天気が良すぎて直射日光がきつくなってきた。正解は木の下に席を占めることである。

綺麗な緑のお茶を飲む

 さて、ここは盤門という蘇州城内に船でやってきた人が最初に潜る水陸両用の城門である。40年前に見た盤門は荒れ果てて併設された瑞光寺塔も破れ傘のようにぼろぼろになっていた。観光客など居るべくもなく俺一人でぶらぶら見て歩いた記憶がある。その盤門が今や立派に再建され瑞光寺塔もきちんと整備されている。

盤門内部

瑞光寺塔

 当時何故に盤門などへ行ったかというと、それはまず范成大の「呉船録」を読んだことに起因する。この書は南宋の時代、四川制置使として成都に赴任していた范成大が故郷に帰る船旅を記録した当時の旅行記である。最後の個所は蘇州に着いてこの盤門に入るところで終わっていたと記憶する。これを確認しようと東洋文庫か学生当時の版本コピーの「呉船録」を探したが書庫の中に見つからず、結局ぼろぼろになった昭和22年刋の小川環樹先生訳を探し出し当該箇所を見る。確かに最後のところに「夕がた盤門(蘇州城の南門)に入る。」とあった。

「呉船録」終章

 瑞光寺を出て外を回って再度運河のほうに戻り水上バスに乗って移動しようと考えた。連れの方がトイレに行っている間に出発時刻を無視して水上バスは出て行ってしまった。呼べど叫べど(って叫んでもいないんだけど)船は返らず、残された二人はしょんぼりと地下鉄駅に向かって歩くのであった・・・。

 まるで歌舞伎の「俊寛」さながら。

江南の春を往く 14

蘇州で居酒屋をはしご

 青木青児(あおき・まさる)先生の「華国風味」は何度読んでも味があるので岩波文庫版はなぜか数冊家にある。人にあげてもまた買うからなんだが、酒の話、食い物の話ときりがない。物あるところ、必ずその名がついて回る。中国のように広大な天地の間にはこれまた膨大な物がある。その物と名をば対応させるという学問「中国名物学」を青木先生は提唱された。まあ先生の場合、それが酒と食い物に偏しているのはご愛嬌というものだ。

 青木先生が華国を漫遊のみぎり、うまい酒と食い物を目指して料理屋に入り込み店主を呼びつけては美味いものを求めるという繰り返しになる。こちらは資金もなし時間もなしだが、まあそのひそみに倣おうということで夜は飯を食わずひたすら酒とそのあてを求めて鼻をひくつかせながら歩き回った。蘇州最初の晩はまず観光客が引きも切らぬ繁華街である「山塘街」に逢着した。雨が激しく降っているのでとりあえず雨宿りのつもりで覇王茶姫に入りお茶を喫す。

カップに注いでもらった「覇王茶姫」のお茶「醒春山」

 まあ別においしくもないが雨が少し小やみになったのを潮に外に出る。山塘街を入ってすぐに「七里山塘小吃」なる古風なしつらえの粋な店があったので早速登楼。1階の席はほぼ埋まっている。なかなかの賑わいだ。メニューを見ると「蘇式麺」と「点心類」に分かれまあ食事ともっと軽い何かを食べる手軽な店なのだろう。勘定場のおばさんに2階に行けと勧められ階段を上がると客はいない。2階にいたおばさんにどこでもいいから座ってと言われて窓際に席を占めた。

七里山塘の二階客席

なんか乙な感じでげしょう。ここはよその店のようにバーコードで注文するんじゃなくて昔のようにおばさんを通して注文をする仕組みになっている。すぐにメニューを持ってきてもらい紹興酒を頼んだが「無い」とのこと。男は黙って青島ビールにする。

蟹の小籠包と五香豆腐干、清蒸青菜

 すぐ来そうなものをあてに頼んで呑み始めるが、蟹の小籠包がなかなかうまい。2種類のたれがついてくる。どっちも美味い。こういうあっさりしたのでビールを飲むのもまたいい。雨音と階下の喧騒を聞きながらしばし歓談。

 また強くなった雨が再び小やみになったので店を出て歩き出す。途中もう一軒行くかということになり手ごろな店を探すがなかなか見つからない。ふと目をやるとそこには看板に「好食不怕巷子深」(食いしん坊は路地の奥を怖がらない)という挑戦的な文字が・・・。

「好食不怕巷子深」と挑戦的な看板

 確かに路地があって、そこにはテントで屋根がかけられテーブルも出されて店のようになっている。呼び込みの兄ちゃんが「奥にもあるよ」というので行ってみたら何とも家庭的な店が鎮座していた。

壁に貼られた客のメッセージがほほえましい 扉の外のテーブルが路地

 店の奥さんと子供がテーブルで何か勉強していたがその邪魔をした感じ。ここでも紹興酒は無くてご当地のビールと小エビを剥いて炒めたの、グリーンピースを炒めたのを頼む。

冷えた東呉ビールを頼む

小エビ

緑豆肉炒め

 これを見ながら「集合体恐怖症」の話で盛り上がる。見ての通り、その恐怖症の人は絶対に食べられない料理なのだ。

暖男小食舗が店名

店を出て振り返ったらもろに路地にある店だった。「暖男小食舗」。気に入った。

江南の春を往く 13

紹興から蘇州へ・寒山寺に参禅す

 あけて4月3日は朝から雨っぽい天気。10時36分発の高速鉄道G7576に乗るために紹興北駅に移動。紹興北駅ではマクドナルドの朝セットで朝食とする。

 列車は来た道を逆方向に杭州・上海を通り昆山から蘇州へと向かう。一緒に乗ってきたおじさんに窓際の席を代わってもらい通路向かいの同行者N師と紹興酒を飲みながら2時間の旅である。

 苏州狮山万豪万枫酒店なるホテルに到着。外は本降りの雨になった。午後は雨の中を寒山寺に参禅である。タクシーで寒山寺駐車場につくが、ここからぬかるみを歩きで山門まで移動である

寒山寺に到着

雨なのに参拝の人は多い

世界猫めぐり~寒山寺に住まう禅味のある猫居士

 雨の中をぼうっと歩いているうちに閉館の時間が来てしまった。

 タクシーで繁華な山塘街に移動する。途上タクシードライバーの兄さんが翻訳アプリで「義父のためにお茶の葉を買うので店まで行っていいか?」と聞く。碧螺春なる茶が有名でそれを買うのだという。お茶屋まで行き購入後山塘街まで行って降ろしてもらう。別にお茶の売り込みというわけではなく買い物をするために行ったのだろう。

 このドライバー君とは車内で「日本と中国は戦争しないですよね?」などという政治的な会話を初めてした。一般市民にもそういう危機感はあるようだ。戦争などになったら大変で、「いや、俺たち市民が仲よくしている限り大丈夫だろう。」と言ったら納得していた。

 日本は国内で戦場になった土地は沖縄県が知られるが、中国は侵略してきた日本軍に何年もの間蹂躙され続け、いわば沖縄の戦場がそこかしこにあるのと同じだ。だから軍事大国となった中国の国民ですら日本人に対してある種の恐怖感を抱くのは当然といえる。

江南の春を往く 12

紹興料理二晩目

 夜が来たのでホテルを出て昨晩から目をつけていた料理屋を目指す。昨日と同じ棚橋街を目指して歩くと途中に「尋宝記」なる店が。この店は紹興駅の地下道に広告が出ていたので目についたのだが果たしてうまい店かは行ってみないと分からない。

 

尋宝記

 何やら灯篭を持った貴人の人形が手招いているので、牡丹灯籠なんかを読んでいた人はこのまま店に入ったが最後、持っていかれるんじゃないかとビビりもする。

紹興必点の料理とあるからには頼まずんばあらず!

 人気店で結構な人数が待っているが、スマホでミニアプリを開いて予約をする。卓のサイズでABCと分かれているメニューから、例えば二人なのでAを選択するとあと何人で順番が来ますという表示になる。同じ状況が店頭のディスプレイにも映るので、上の表示ではA40が呼び出し中で次はA39、まち人数が9人とわかるわけだ。順番が来ると店頭の女性が呼び出しの声をあげるのでついていくと卓まで通される仕組み。

 

事前に注文した料理

 下し山椒のピータンかけ、紹興臭豆腐、紹興花彫酔鶏、10年老酒。実は人気メニューのザリガニを紹興酒で蒸したのを頼んだのだが待っている間に既に品切れとなっていた。給仕のおばさんに「太晩了!(遅すぎなんだよ!)」と言われる始末。もっと早く出かけてくればよかったのだ。

紹興花彫酔鶏、花彫酒に漬けたものだ

ピータンと臭豆腐、いや臭いわ

10年老酒 真っ黒の漿液と謂うべし

 かくして紹興料理2晩目の夜は更けていった。

江南の春を往く 11

魯迅故里にやってきた

 紹興市の旧市街の中ほどにある魯迅の故居を中心とした観光区にたどり着いた。なんか知らないがすごい人出で、魯迅はやっぱり人気あるなと。中華書店なんかに行って小学校の教科書や参考書の棚には「魯迅作~~」の文字が見える。現代中国にその名を留める大小説家だ。日本の国語教科書にも採られている「故郷」なんかを読むと没落した地主の「私」が帰郷した内容から魯迅本人に主人公を重ねて「あ~没落した元地主なんだ・・・」と考えてしまうところだが、この故居の規模を考えるとどうして立派な大地主の一族ではないか。白壁の中にたくさんの堂が立ちその部屋が延々奥までつながっているさまは、「あ、どっかで見たな」と思ったら河南省開封にある劉清霞記念館の造りそっくりだ。というか地主の屋敷なんてどこも同じようなものなんだろう。

魯迅先生の屋敷

 中国共産党からすれば地主階級出身なんだからダメなんじゃなかろかと思うがそんなことはなくて愛国的文学者なんだから教科書にも採られているわけだ。

 魯迅先生は日本でも人気で、仙台医専に留学していたことから仙台時代の魯迅研究が盛んだったりする。文学を志す以前の魯迅を研究してもあんまり意味がないんじゃないかとも思うが、そういうことは言わないほうがいいかもしれない。その魯迅を教えた医専の先生に「藤野先生」という人がおられて、こっちは「大魯迅の恩師だぞ」というわけで、東北大学が「東北大学魯迅賞」を出していたのが、名称がいつの間にか「東北大学藤野先生賞」にかわってたりする。だいたい藤野先生が小説家魯迅のことを終生知らずにいたという話もあって、ご自身の名前を付けた賞が出されているなんてびっくりするだろうと思う。多分ね、えらい人の中に「魯迅と藤野先生を比べたら恩師の藤野厳九郎先生のほうが偉いんだぞ。名前変えちゃえ!」なんて考えているのがいるわけだろう。底の浅い話だ。

 とまあ、魯迅先生を巡ってはいろんな顔というか意味づけがそれぞれにあって、これはこれで調べたらきりがなかろうと思う。

 魯迅故居はパスポートを見せたら70歳未満は半額ということで券を売ってもらい無事に入場。内容は既述の通り典型的な地主の家でした。

 今回は季節がよくて、今日は晴れて暑くなってきたから半袖でいいかなという感じ。今まではよく真夏にこんな観光していたけど、近年はとにかく猛暑でまともに見てなんか歩けない状態です。やっぱり旅行は春か秋がベストシーズンですね。

咸享酒店前で

 故居を出たらすぐに咸享酒店に出くわす。こんなところに入ったら最後、紹興酒を頼んで本寸法の紹興料理を取る羽目になるので向かいのお安い食堂に入り麺を喰う。

小排骨麺・・・美味し!

 なんか縮れた麺で日本のラーメンみたいで美味い。よくラーメンの批評に「縮れた麺にスープがよく絡んで・・・」などと書いてるのがいるけどそれはそうだな。まっすぐな麺は一本一本の麺の間に染みたスープがスルスルと直線的に口の中に入ってくる。電気で言えば直流のスープになる。びろびろ縮れた麺は「絡んだ」スープが口に入る感じが歪んだパルス波のように不確定の量が入ってくる。その分啜ると周りに飛び散ったりするわけだ。ノイズが乗るんだよね。ノイズをまき散らしながら盛大に啜って食らう。