河南省を往く38
まだ山西省にいる。運城の塩湖は見たし、次は高校漢文で出てきた鹳雀楼(かんじゃくろう)に行くことにする。駅で客待ちしてた運転手のおっちゃんに連れて行ってもらったが鹳雀楼というと日本人かという。それくらい多くの日本人が来ているのだろうが、今日も誰にも会わなかった。
この楼閣は王之渙の「鸛雀楼に登る」という詩で著名になったが、現在のは重建されたエレベーター付きの現代建築である。
白日依山尽 白日山に依って尽き
欲窮千里目 千里の目を窮めんと欲し
更上一層楼 更に上る一層の楼
ここまで書かれたら夕暮れの鸛雀楼に登り白日の沈む彼方を窮めねばなるまいと日本人なら誰でも思うのではないか。汗を流しながら5階だか6階だかまで登りました。終いには膝がおかしくなって吐き気までして来たが、まあ登ってよかった。コレは登ったという事実が大事なのである。
てっぺんでは業者のお姉さんがドローンを飛ばして動画を取ってやるがチャレンジしないかとしきりに誘うがまあやめておいた。
しばらく遠くに静かに流れる黄河の流れを見ていたが、運転手のおっちゃんをあまり待たせても悪いので帰途につく。またタクシーを飛ばして今夜の宿「電機賓館」に到着。
変な名前と嗤うなかれ。この近所には中国の高速鉄道車両を造っている中国車両があるし、すなわち中国で生産される電機=モータ生産の拠点なのだ。
マブチモータと違って電車や自動車を動かすモータだから近在の工場に通う労働者の数はものすごく、彼らの住む社宅はちょっとした団地を形成している。いや、ちょっとしたどころかものすごい大団地がまわりじゅうに存在するのだ。他に電機市場や電機病院もあるし、すると電機賓館はそのコングロマリットの一部だと言ってもいいのではないだろうか。電機中学まであるぞ!
そんな労働者の街は、昨日までいた漢服着たお姉さんとか着飾った子どもたちとかがウロウロしている浮ついた観光地とは全く違う雰囲気だ。堅実な生活の匂いがする。しかし、そんな中でもこの街が柳宗元の故郷という理由で整備された広々とした公園があって仕事帰りの労働者や、もう退職した老夫婦なんかがゆっくり歩いていたりする。何か働く中で培った文化というものが感じられる、そういう労働者の街なのだ。
夕方の公園を歩いて再開発されたらしい一角に入り込んだら「山石」なる日本料理を出す居酒屋風の店を見つけてすなわち入店する。キリン一番搾り生ビールとか獺祭とか提灯が下がっているので入ったのだが日本語を解する人が誰もいない。その割には日本の歌謡曲がずっとかかっているし造りもそのまんま日本の居酒屋なんで、とりあえず一番搾り生ビール頼んだら350ml缶がそのまま出できた。適当につまみを頼んで飲んでいたら2組ほどお客さん来たが全部中国人。
てっきり工場に来てる日本人駐在員なんかが来るのかと思ったがそうでもないらしい。