imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

河南省を往く18

 今日は「中原趟將」に並ぶ俺の中の河南省理解というか開封市理解のためのチャンネルを一つご紹介したい。それが「菊城小微」さんである。市内の小学校の近くで子ども相手の食い物屋を開いたらしいが最近は開封市内はおろか近郷近在の農村や割と遠くまで出かけて各地の食を紹介している。

 この加工済み肉の行商をしてるおじさんの呼び声は本当にすごい。モンゴルのホーミーのように別波長の声を絞り出してます。

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 菊城は開封市の別名だそうで、菊の季節には菊の花で街が華やぐらしい。

 

 

 俺が開封に最初に行ったのは1980年の夏だったが、それ以来何回行ったのかな?とにかく7回ぐらい行ってるかも知れない。当時は静かな歴史文化都市という雰囲気であった。歴史を遡れば北宋の都であり、北宋時代当時の繁華な街並みを描いた「東京夢華録」という絵画で知られる。

 以前は河南省省都であった時代もあったが、1938年の徐州会戦以後日本軍の占領下に置かれ、中国軍が日本軍の追撃を止めるために黄河の堤防を決壊させて「新黄河」という流れを作ってしまう。以後そこが1944年までの日中睨みあいの境界線となった。自然開封は前線の町となったが、そういうところはお金稼ぎのタネになるらしく、日本人が大挙入り込み日本人街が出来るほど。

 戦後、交通の便が良かった鄭州省都は遷り現在に至る。古い都だから美味しい料理もあるだろう。それを楽しみにしている。

80年代の馬道街にあった焼き餃子屋さん「稲香居」