imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

河南省を往く55

 今タクシーの中で書いてるんだが、開封の城内の道は狭くて激混みに混み合う。その要因は先ず古い街並みの再開発が困難なこと、それから城壁が残り城門をくぐらなければ外に出られないということだと思う。とにかく大きな街はすなわち古い暦がある街なので、必ずや城壁がある。解放後破壊したあとには道路が敷かれるが環状線とは言い条城壁をなぞった真四角の道路だったりする。

 従ってどこの街も旧城内を離れて城外へと街の開発を進めていくのが定石となるのだろう。今包公湖の横を通っているが、以前はなんだか湿地みたいな所であったのが今は満々と水を湛えた堂々たる湖だ。包公とは北宋の政治家で知開封府だった人物。龍図閣待制だったかで別称「包龍図」。彼の書いた判決は名判決とされ日本の捕物帳などに影響を残すという。

 などという間に城壁を拔けて護城河を渡り広い道に出た。

 これから向かうのは昨日休みだった開封市博物館。今日は開いてるよな?

 開封は見どころがいっぱいある歴史的城市なんだが、今回は博物館中心に見て回るつもりだ。80年代に来た観光地化されていない開封の想い出が強いので、敢えて昔の印象を変えたくない。そこで観光地化されたスポットは行かないようにしている。ただのノスタルジーであるが。


f:id:imaginegargle:20240402165253j:image

 博物館はちゃんと開いていて、なんだかすごく広い展示空間だった。展示室は17室位あるんじゃないかな。内容は開封市立だからか開封の歴史を戦国時代から現代まで辿るもので、見応えあり過ぎでとても一日では見きれない。明・清の時代はすっ飛ばして一挙に近現代まで来た。

 辛亥革命後の開封の様子が展示されているのだが、いきなり開封の駅の風景が大きな原寸大蒸気機関車模型のお出迎えでお出迎えする。この時代の河南省軍閥とか北伐などでゴタゴタするが、それが落ち着いたかと思うと1938年の日本軍占領だ。その占領時代のことはあまり触れられていない。現在の開封賓館の建物が日本に接収されていたことくらいだ。まあその建物もアメリカのミッションが開いた貧窮院だったわけだが。

 それから開封といえば「清明上河図」である。この北宋開封の街なかを描いた細密な図は世界に何種類かあるようだが、その複製が展示されている。またスクリーンにその図が流れるように投影され、よく見ると図上の船や人や動物が道を歩いたり橋を渡ったり船の櫓を漕いだりとそれぞれに蕩きが見えるのである。これは面白いので一見の価値がある。
f:id:imaginegargle:20240402182805j:image

 博物館のフロアは2階まであるのだが、よく見ると3階にもなにか展示スペースがあるようだ。しかしそこへの道が全く見当たらない。

 一度博物館を出て裏に回ったところ開封市美術館と開封市計画展示館という2つの入口があった。後者に入っていったところ何か博物館本体と同じような展示が続くが、どうやら開封市の都市計画プロジェクトの展示のようで、歴史的な価値と現代的価値の両面から開封の都市構造を明らかにしようという意図が見える。開封市地下にめぐらされた各種配管の実態なども透明な廊下を透かして見せる工夫がある。意欲的な展示だと思った。

 ホテルに戻り夕方ひと寝入りして鼓楼街に出てみる。事務所や家に土産買わなきゃと思うが、嘗ては袋入りのお茶なんかを買っていたが◯◯茶行みたいなお茶専門店が見当たらない。取り敢えず大きなスーパーに入ったらいっぱい有ったので適当に買い込む。その後「開封灌湯包子」の店に入り包子を蒸籠一つ注文し喰らい帰還す。


f:id:imaginegargle:20240402225853j:image