imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

河南省を往く56

 劉清霞記念館を見て開封北駅に向かう。記念館の向かいに劉少奇記念館もあるんだが、改修とかで閉鎖中。毎日公安のパトカーが止まっているのは何故。そっと写真撮って道を渡り劉清霞記念館に入る。幼稚園児がたくさん参観に来ていた。


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あ、劉少奇は1980年に名誉回復していました。

 劉清霞という人はものすごいブルジョア出身なんだが、自分の所有する財産を傾けて辛亥革命を支援したという「女傑」です。だから劉清侠なんて呼ばれている。その人の住居が当時の河南省省都であった開封市内にあって、それがこの場所である。どれくらい金持ちかっていうと、北京から南京まで旅するのに「自分の家の水を飲まないことはなく、自分の家以外に泊まることもない。」くらいの財産持ちだった。その彼女が日本に来て女子教育の重要性に気づき私財を尽くして学校を建てるなど教育に力を尽くす。日本が近代化のお手本になり、やがて侵略者となっていく。


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 あ、もう一つ訂正を。包公が龍図閣待制と書いたのはウソで、正しくは龍図閣直学士でした。開封市博物館に行って歴代開封府知事の名前を刻んだ「開封府題名記」の拓本を見ると中央付近に拓本の墨が付かず白く残った部分がある。これが包公の名前が刻んであった場所なのだが、彼を慕う民衆がその名を指で確かめているうちにすり減って消えてしまったのだ。その横に「龍図閣直学士」と残っている。

 劉清霞故居を出たらパトカーが3台に増えていた。