imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

河南省を往く45

 函谷関歴史文化旅游区のことをすこし書こう。新しく整備されたテーマパークといった施設で、古びたところは全くない。奥行きがあり、奥まで歩くのが大変ならば数人乗りのバッテリーカー(電瓶車)が待っている。てくてく歩いて行くと遊歩道のようになっていて、きれいな尾羽根の小鳥がたくさん飛び回っている。なんか静かな音楽も聞こえてきて、どこから聞こえるのか不思議がっていると、何と路傍の石に擬装したスピーカーから流れてくる。よく道端のポールにスピーカーが設置されているのを見るがああいうのは頭の上から複数方向に向けて放送できるので効率は良いだろうが見た感じが良くない。

 やがて巨大なキンキラキンの老子像が見えてくる。老子はこの函谷関を通る時に関守に老子道徳経を著し彼に遺したという言い伝えがあり、故にここが老荘思想の源流であるというわけだ。路の脇には巨大な石塀が貼り付けられ、大きな文字で「老子道徳経」が刻まれている。


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 この調子で奥までが一種の道観のような造りになっている。道士は見えなかったので宗教施設ではなく、道徳経に引き寄せた「道徳観念」の普及センターの観が有る。

 そこはさっさと飛ばしてその裏に周ると、階段を昇り大きな広場と函谷関の城門が見えてきた。城門から遠足の小学生の群れがぞろぞろと出てくる。そして門の前の地面に張られた薄いマットの上では若者たちが鎧をつけて飛んだりはねたり何かの体操のようなことをやっている。これが入口で掲示してあった秦の始皇帝の戦いの演武が今から始まることを示していた。

 更には馬も何頭か加わり、武将スタイルの演技者が数人登場した。やがて音楽と台詞回しがPAから流されると、武将のかけ声で兵士たちはお互いに演武を披露する。小学生は面白そうに見つめているがやがて全てお尻を向けた馬たちが大量のウンチをボトボトと落とし始めた。しかし厳粛な演技は続く。


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 何か赤い服着た女が現れて武将の一人とロマンチックなシーンになったので、俺はその場を離れて城門の中へ入っていった。

 城門の中には函谷関のパノラマ模型があり地形の解説をしている。城門の裏側に回ると俺がこの間書いている日本軍による函谷関大戦という中国側表記の戦闘の解説がパネルになって展示してあった。


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 さて、その先を歩いて行くと左右が崖になっていて狭い道がずっと昔続いている。これが函谷関古道だと言う。すこし切通の狭い道を進んで引き返した。

 この後帰り際に横道にそれて裏門から出してもらった。しばらく行くと「函谷関戦城」という史跡指定の表示が出てきた。更に行くと寂れた古い函谷関の施設案内のゲートが登場した。ここを廃棄して新しく展示空間を別の場所に作り直したのは明らかだ。