imaginegargle’s blog

中国文明の揺籃である河南省への旅の準備とその旅路について記すブログ

河南省を往く52

 今朝は久しぶりに焦った。高鉄発車時刻の1時間前に行動を起発し、ホテルから洛陽龍門の高鉄駅まで車を手配したまでは良かったが、走り出した車が通る街道の交通信号が目前で尽く赤に変わる。信号のタイミングが悪いとか、つながりがサイアクとかそういう状態で一回の信号待ちで3分くらいロスが積み重なっていく。結局改札締切の発車5分前は厳しい状態になってきた。まあ乗り遅れても1回は変更できるので大丈夫だろうが、出来たら乗りたいよね。

 発車7分前くらいで駅入口の安全検査口にたどり着いたが結構な行列ができている。パスポートを見せて有人窓口に割り込ませていただく。事前に液体が入った消毒薬のスプレーは手に持ってすぐに見せられるようにしておいた。顔面にぶっかけるイオンスプレーも100グラム以下だと示して通してもらい無慈悲に遅いエスカレーターをのろのろ登る。検票口に急ぐとそこには無慈悲な「検票終了」の赤い文字が。女性の鉄道職員にパスポートを見せたらゲートを開けて「3番線よ!」と慈悲深いご指示があったのでスタコラホームに降り立った。やがて入線する高鉄。無事に乗車ができた。

 最高時速307kmの高鉄に1時間ほどの乗車で12時過ぎに開封北駅に到着。タクシーでどこへ行こうか迷ったが取り敢えず開封市博物館に移動。このタクシー、お婆さんを後部座席に相乗りさせてる。お前は前に座れって言われて素直に従う。降りるときは運転手さんがザック背負わせてくれたのでありがとうなのだ。婆ちゃんにバイバイしたらニコニコしながらバイバイしてくれた。


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 博物館、誰も客がいない。警備のおっちゃんに手を振ったら今日はやってないと。月曜日で休みだった。ほとんど車が走っていない大道を横切り公園のトイレで休憩。トイレから出てきたお姉さんがタクシーのドライバーだとわかりホテルまで頼みそのまま客となる。彼女はしょっちゅう開いた窓の外にいる誰かに大声でなにか話しかけている。同業者とコミュニケーション中なのだ。


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ここでも漢服売ってる。

 

 城内に入り、鼓桜の下をくぐり拔けてのっぽビルのホテルに到着。16階建ての16階に部屋をもらうが、なにか怖い。別に下の階でもいいんだけど。フロントでもらったヨーグルトとスナック菓子を喰らう。

 洗濯をしてから午後は近くを散策の予定である。

16階から見下ろした鼓桜方面城内の俯瞰写真

 



河南省を往く51

 今日の洛陽は予報では26℃まで上がるらしい。そういう予報が出ている。しかし毎日のことなんだが、「大気質」の項目に「大きな健康被害あり」と剣呑な文句が並んでいる。これは西安に入った頃から毎日出ている健康被害予報なのでもうあんまり気にならないが、長期に当地で生活する人にとってはやはり考えないといけない課題だろう。

 実際には自動車も電気化されているし、バイクも例の無音でスルスル走ってくるアレがいっぱい走っている。秦嶺山脈の山頂山腹には巨大な、本当に巨大と言って良い風力発電用の風車がもうすごい数設置されている。風車の羽が静止時にはたわんでいるのがわかる。多分その方が構造的にか、効率的にか有利なのだろう。

 環境問題への取り組みも、凄まじいジェット水流での路上の清掃とか大砲のような筒から霧を噴射しまくる大型車両の往来とか街中の様子はかなり努力されているようだ。


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河南省を往く50

現代公主考

 

 いよいよ50回目。というかまだ50回だけど。

 拙い文章を読んでいただけるだけで有り難いのだが、なにせタクシーや汽車の中で書いてるので誤字脱字が多いと思う。お許し下され。

 今夜は正統派のホテルでまともな夕飯を摂った。地元の菜2品とビール3缶と米飯で250元だから5K円か。主菜に選んでもらった鶏肉と栗のカレー風味煮込みが結構高かったが肉が骨付きのままぶった切ってあるだけでまあ美味しい。それと信陽の豆腐の炒め物が美味かった。まあ全部美味い。最後に勘定してもらって、お姉さんに「美味!」って言ったら発音直されて勉強になりました。恥ずかしいよね。でも関係なく話をするいきおいは失ってはダメだと思う。恥は捨てる。

 漢服女子、及び男子の跋扈は現地ではどういう風に捉えられているのかは解らない。帰国したら少し調べてみようと思う。今日現地では女子は「公主」とか男子は「殿下・王子」などと呼ばれているようだという感触を得た。いや、それも判然とはしないのだが、宣伝広告の呼びかけ方はそうであるようだ。


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 公主とは王女のことか。日本で言えば内親王だな。洛陽だと永泰公主のお墓が発掘されて公開されているから見た人もいるだろう。そのお墓の壁画にいっぱい描かれているのが現代の公主の皆さんのような女性たちである。実際にはペルシャの王女様みたいなのも歩いているし、髪型からしてもめちゃくちゃお金をかけてるのがわかる人もいれば、そこまではいいかなと思うけどそういう格好したいよね的な人もいる。洛陽の特徴的なのは、西安と違って年齢とか経済力に関係なく公主になれる、というかなってる点である。結構お年を召されて公主というよりは御殿女中みたいな感じの人もいるけど、全然関係なく楽しんでいる。カメラ持って歩いていると撮って下さいって言われたり、スマホを預かって撮って上げたりすることもある。一体いくらくらいでレンタルできるのか知らないが、化粧や髪型の構築までキメてる人はさぞや大枚はたいているんじゃないかと思う。でもそれで貸衣装屋や美容室が潤っているんだからいいわけだ。大抵は洛陽外から来た観光客がほとんどだろうから、これはインバウンドによる地域経済の充実にとってプラスの要因になっているんだろう。その裾野は西安よりも洛陽の方が広いと言える。

 日本では京都で舞妓さんの格好をする観光客が話題になっているけど、これをもっと他の場所にも広げられるといいと思う。

 まあそれはどうでもいいんだが、10年以上前から「中国経済は破綻する」って言ったり本書いたり動画作ったりしてる人がいるけど、まあ管見の限りだがそんな様子もないぞ。建築現場では機械が動いているし、公主はいっぱいウロウロしているしで経済破綻の崖っぷちにいる人が公主のカッコするかね?

 そんな他国のことを言う前に、中国の身分証にしたがっているようにしか見えないマイナンバーカードとかトンチンカンな方向に走り出してるんじゃないか?

 なんとかDXとか言ってるけどそっちの方なのか?

などなど、いろいろ疑問が湧いてくるこの中国旅游であった。

河南省を往く49

 今日は日曜日。観光都市洛陽は大変なにぎわいで、多くの女性が漢服を着て街中を闊歩している。俺は昨晩洛陽の中心地にある中州国際飯店に投宿した。多分1950年代にロシア人技術者を泊めるためか、その後に外貨獲得のために建てられたか、そういう匂いのするホテルである。

 1980年に訪中した時には、街灯の少ない街の中にひときわ明るく照明を煌めかせ、多くのタクシーが出入りする外国人用のホテルというのがあった。その特徴はロシア人向けにベッドもバスタブも超巨大。そしてエレベーターホールには鍵を預かる係がいて結構な権力を持っていた。

 現在は色々改築されているが、その当時の記憶を思い出させる造りなのだ。

 昨日はそこから街に出かけ漢服着た皆さんが行き交う雑踏に揉まれて疲れて帰ってきた。改めて言う。本当に人が多い。

 今日はその喧騒を離れて龍門石窟の対岸のホテル「東山賓館」に来ている。流石にこのクラスのホテルになると人が少ない。対岸の龍門石窟からはたくさんの人波とクラクションが途切れ途切れに聞こえてくるが、この東山賓館の庭園にある池の畔の四阿には誰も来ない。人のいない静かな環境で時間を過ごすのは何日ぶりか。

 思わず溜まっていたブログ記述を一挙にやっちまった。

 と思ったら人が集まってきた。そいうことだ。

河南省を往く48

 新安県に到着し、早速得意のアプリで車を呼んだが、この駅は駅前と言っても狭く曲がった道が通るばかりのローカル駅だ。電動バイク三輪自動車を巧みに避けながら車はやって来た。それに載せてもらい今日最後の見学地「漢函谷関」へと入っていった。


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 ここも川と崖に挟まれた地形でその河谷に城関が築かれている。お陰で暑い日差しの中でも川風が吹いて汗をとばしてくれる。

 入場料を払うと川に架けられた人道橋を渡り対岸の河川敷に出た。その崖には赤い岩肌が削られて唐代の年号が刻まれているほか、地面には深い轍の跡すら見られるのだ。更に歩みを進めると左右に櫓の跡と思われる高台と正面にはだいぶ補修の手が入っているが城門が現れた。城門には登ることができ周囲を見渡す事ができる。

 しばらくすると城門の北側に先ほど使って来た隴海線の線路を走る電車が通るのが見えた。

 城門の上を南側に進むとやがて下り口が見つかり高台の裏手に回ると現在までに進められた函谷関の遺構の発掘の様子が見られる。立派な屋根をかけた展示空間となっている。


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 霊宝の函谷関がテーマパークならこちらは少し歴史的な価値が高いかなという気がする。従って見物客は少なく落ち着いて見学ができる雰囲気である。無論、漢服公主はいない。

河南省を往く47

 新安県までの車内。1号車の5番という最前部の席を確保したと思ったら機関車がいない。一番後ろの車両、席であった。窓際の俺の席は若いカップルに占拠され動じる気配が無いので、苦笑しつつ席側の空いた席に座らせていただく。いよいよ函谷関を拔けて中原の広野に降り立つ。

 勾配を下りつつあるとは言っても、列車は高鉄と比べてのんびりとかつ確実に、牛のように歩む。こういうのんびりとした旅もまたいい。昼過ぎて巨大な桶のようなカップラーメンを待った乗客達がやって来て目の前の電気給湯器でお湯を入れ始める。蓋に指で穴を開け、そこからお湯を注ぐ派と蓋をベリッと剥がしてお湯注ぎ添付のフォークを蓋と桶の縁にぶっ刺して蓋を止める派とに分かれる模様。

 車掌さんは忙しい。停車駅が近づくと駅名を大声で叫びつつ車内を歩き回る。「三門峡到了〜!」

 その間ゴミを集めトイレを掃除し自分もトイレに入る。トイレから出て来ると熱湯が出る給湯器の蛇口を開きちょいちょいと指先を洗って水気を客車のシートカバーで拭う。一連の流れるような無駄のない動きに感動する。

 時々ワゴンがやってきては止まり最後尾なのでUターンして戻っていく。一度目はラーメンとかお菓子とかを売りに来て、二度目はフルーツや道口焼鶏を売っていた。多分食堂車からだと思うが、金盥にいっぱい詰まったなんだか辛そうなタレに漬かった焼いた鶏の脚がおばさんの手で運ばれてきた。買う人がいたからよほど美味いのだろう。

 営業していない鉄門の駅を通り過ぎ、千唐誌斉の裏を通り抜けるとすぐに新安県が近づき俺は下車の準備に入った。


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河南省を往く46

 中国入りして1週間が経った。労働者であれば公休日なのだが無職老人は関係ない。だが身体はその頃の習慣を覚えており、そろそろ疲れが出てくる頃だろう。今日は移動日としたいので、霊宝駅へと急ぐべきだが、その前に秦嶺山脈に少し入った頃城村へと寄り道をする。タクシーを呼んでもらおうとするがフロントのお姉さんはそんな村は知らないらしく鳩首会談中。そうしているまに出口にタクシーが止まったので、お姉さんが説明に走る。なんとか行ってくれることになり車は南に向けて田舎道を走る。やがて左右が切り立った崖に挟まれた小村に到着した。川を渡ると谷底の村、項城村である。


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 ここが本村少将指揮する地兵団が占領命令を無視して迂回包囲の体勢に入った後消息を絶ち日本軍左翼の突破力を喪失した場所になる。たとえ占領したとしても対岸の高地から集中射を浴びれば確保は困難であったと思われる。写真を撮り村を後にした。

 現在、駅で河南省新安県まで乗車予定のK292列車の改札待ちである。